選択肢

こんばんは

最近読書に地味にはまり、五木寛之さんなどを読んでおります。




今日はふと考えたことを書こうと思います。




「選択肢」という言葉について。



ケーキを食べるのか、煎餅を食べるのかに始まり
自分は今日何をするか、
自分は何をして生きていくか、など。
全てが選択肢ですよね?



俺は、今の現代は何をするにせよ、「選択肢がありすぎる」と思います。

さすがに「何を食べるか」はさほど悩みませんが


「どんな仕事をするか」
「どの会社を受けるか」
「どうお金を運用するか」
「どこに住むか」
「どのクルマを買うか」
エトセトラ・・・・

自分にとって大事なことに対して、無数に選択肢があるせいで、そのつど真剣に無駄に迷う。
俺はいつもこういうのは悩む。






世の中の人間の悩みの70パーセントは「選択肢が多いから」だと思います。
残り30パーセントは何かを「やる」「やらない」の2択で悩むケース。






例えば、縄文時代にとある村に生まれて、男だから狩りをして、誰かと結婚して、土器なんかをつくっとる人生には、ほとんど大きい選択なんてありませんよね??

村のどの女と結婚するか、くらいじゃないか??


今より遥かに少ないスケール・選択肢の中で人生を生きる。

でも、そんな人生が嫌だなんて思わない。
だって本人も周りもそういう生き方しか知らないから。





じゃあ、果たしてこの現代の「選択肢の多さ」は幸せなことなのでしょうか??







俺は諸刃の剣のような気がします。

コメント

makie さんの投稿…
ブログちゃんと見てま~す!!!
私も五木寛之さん、好きです。読んでいると私がわからずに苦しんでいることを、諭してくれるような気がする。

実は、選択肢の多さに私は苦しんでいるよ。
こんなに情報が多くなければ、、、こんなに生き方がたくさんなければ、、、こんなに自由でなければ、、、昔の人の功績への感謝も忘れ、そんなことを考えちゃう。

たまに逃げたくなったりして、そういう時は引きこもって読書して現実逃避。

日本は新しい商業施設を建てたり、駅を作ったりしてるけど、もっと不便でいいから、穏やかに暮らしたい。
東京では、それはムリなのかな。
naoya さんの投稿…
お返事遅くなりました。すみません。

共感いただけて嬉しいです。
まさにその通りで、発展とともに人の心は貧しくなるばかりですね。

選択肢が多いせいで、「これでいいのか」という思いが常に襲ってきますものね。

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