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仕事

ひとつの仕事が終わった 長く長く数カ月にわたる仕事が終わり、ようやく普通の時間に帰路についた 最後は眼精疲労になり、集中力も落ちてしまってロクなパフォーマンスが出せなかった おそい時間に食事をするから、朝は睡眠不足と消化不良で胃もたれして 固い身体と冷たい心を叩き起こして仕事をしていたような気がする それでも自分のやったことは大したことないから、正直達成感よりは 安堵感を少しだけ味わったというレベルで、ただただ疲れた感情がそこにあった でも、それが働いたということなのかもしれない 上司から叱られたり、自分に失望したり、嫌になる時も結構あったけど 悔しさ以上に、諦めのような感情が湧いたことが多くて、もうそういう歳なんだろうと思った 昔、違う仕事をしていた時は自分の限界以上に考えたりして、それでも全然足りなくて、悔しくて泣いたりしたこともあった 仕事のミスが悔しくて、悔しくて、自分のふがいなさに苦しくなって夜に何度も吐いてしまったこともあった 今日はひとつの大きな仕事の終わりだったけれど、ずっとずっと苦しんでいた別の仕事もやっとカタがついて やっと肩の荷がほんの少しだけ降りた 突然、課内の人から、ぼそっと「いつもありがとう」と一言だけ言われて それが今まで色んな、色んなことをみていた、みてくれたように聞こえて その場で泣いてしまいそうになった そういう人の一言が、本当に嬉しくて、まだまだやっていけると思える 経験上、辛くてどん底のような毎日や、失敗して怒られて凹んだ日々の中の動きって 人はとても良く見ているものなんだと思った もう駄目だ、限界だ、俺は結局大したことが出来なかった、等という実感のある時は 「仕事をした」ことに何故かなっている 順調に上手く仕事が出来ている時は、あまり働きぶりは評価されていない時が多い その点は、世の中良く出来ているとよく感じる まだまだ俺は中途半端で、ろくなスキルも無いけれど、自分なりに考えて、4月からは積極的に 人に与えていきたい。

未知

ここ毎週、ジムに行っている 負荷をかけてほぼ全てのマシンを2セットこなしていく そしてランニングマシンを高速で3キロくらい走る 盛り上がりも無いし、ただ淡々とこなしていくだけで 楽しいかといわれると、別に楽しいわけではないけれど 終わったあとの、熱いシャワーをただただ、浴びている時間と 次の日から全身が筋肉痛になるのは、なんとなく好きなのかもしれない 「好き」って何かとかんがえると難しいものだ サッカーを好きで20年くらいやっているけれど なぜ好きかを「分けて」考えると非常に難しい 結局は「蹴る」「走る」を集団で繰り返しているだけで ひとつひとつの動作は特に楽しくもない シュートを決めると快感とはいうが、シュートを決めたいから というのはサッカーが好きな絶対的な理由ではない 11人という組織の中で活躍することで他人から認められたいという自己の欲求や チームワークでプレーして共同して相手を倒すという達成感なんてのも 確かにあるのかもしれない。 でも、やっぱり根本的に好きなところではない。 たぶん、ギャンブルのように結果が「わからない」のが楽しくて好きなんだと思う。 試合結果だけでなく シュートを打っても、ゴールできるか、キーパーに獲られるか、枠を外すかは 世界中のだれにもわからないことだ ただのパスだって、相手に読まれたり、味方が感じてなければ通るかわからない その一瞬一瞬で、自分なりの判断をしてその行動をするけど、 上手くいったり、上手くいかなったりする 最高のプレーとなることもあれば、最低のプレーにもなる それが楽しいんだと思う 下馬評が低い自分のチームが、優勝候補と対戦する時も楽しい 思いきって、ひと泡吹かせるどころか、勝ってやろうとわくわくするから 小学生の時、運動会は紅組と白組で戦う形式だったけれど 負けると本当に悔しくて、クラスで泣いたことがある 高校の時、岡崎慎司のいた滝川第二と練習試合をしたことがある その時残念ながら岡崎は出なかったけれど、俺はDFとして出ていて 後半の途中まで死にもの狂いで相手を抑えて、全国屈指の強豪を完封した 最後に点を取られて負けた覚えがあるけど ものすごく燃えたし、負けたのも悔