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2018年の被災

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2018年はどんな年だったかというと、非常に運が良い年だった。 なぜかというと、8月13日の夕方、練馬に集中豪雨と多くの落雷があり、我が家にも雷が落ちた。 正確には、落雷の影響により、我が家(部屋)のガス管が破裂して引火したらしいのだが、 部屋が燃えてしまい、家を失った。生まれてはじめて被災者になるという経験をした。 ただ、落雷があり、火災がおきたときには、自分は職場で勤務をしていたので、 大家さんからの「部屋が燃えていますので、帰ってきてください」という電話で、初めて事態を知った。そして慌てて帰宅したら、アパートの前が消防車や救急車、警察官だらけで、事態の深刻さを感じた。 これだけ書くと、なんて悲惨な出来事に見舞われたのかと思うが、 ・自分は身体が無事であること、 ・アパートの住人に被害者がいなかったこと ・自然災害であり、誰にも過失がなかったこと ・失った家財は、保険により保障されたこと このことで、精神的にも金銭的にもショックを受けずに済んだ。 その日から、生活再建に向けてスタートを切ることができた。 ちなみに、大家さんのご厚意もあって、部屋を全部綺麗にリフォームしてくれて、 今は被災前と同じ部屋に戻って住んでいる。瓦礫の片づけやら、保険の手続きやら、一人で大変だったけど、本当に自分は恵まれていると感じた。 さらに、オマケとしては、被災する2日前が、自分の昇進選考の面接(2回目)だった。 もし面接後に被災したら、少なからず精神的なショックを受けていて、力を存分に発揮できなかったかもしれない。 (ちなみに、選考には無事に通りました。来年からはまた違う仕事をすることになりそうです) 改めて振り返ると、本当に自分は幸運だったと思う。 だから、2019年も、時に辛いことがあっても、自分ばかりとへこまず、少しでも ポジティヴな面を探して、地道に進んでいけたらよいと思う。

このブログについて

実はこのブログには自分なりの意味や目的があると考えていて、 それは3つほどあると思っています。 1つは、自分自身の過去の振り返り。 あの時何をして、何を感じて、どんな時間を過ごしていたのかを振り返るため。 自分を反省したり、当時を懐かしがったり、また明日も頑張ろうと思ったり。あり来たりだけどそんな感じ。今では年に数回程度しか更新できなくなってしまったけれど、実は時々見て振り返っている。 恥ずかしいけれど、自分の過去の挫折を思い出して泣いたりすることもある。 2つ目は、自分の思考を整理するため。 自分は頭の中の色々を、書くことや文字にすることで整理する癖がある。 仕事では、大きなノートにシャープペンで図やスキームをたくさん描いて、それを唸って推敲して、資料に仕上げていくことが多い。このように、自分は可視化することで思考を整理する、ということを今更ながら最近自覚した。 つまり、8年前から始めたこのブログは、自分の頭の中の思考で、ぐちゃぐちゃしていたもの、悩みもがいていたり苦しいもの、悲しいもの、寂しいもの、等が表現されたものだと思っている。恥ずかしいことや隠したいことも、ここでは言えたりする。人前では明るく強がっている割に、根暗だったり闇がある部分についても恥ずかしがらずに表現できる。 だからと言ってはだけど、このブログを辞める気はない。(タイトルだけを見ると辞めそうだけど) たとえ数年に一度の更新でも、老人になって寝たきり状態になっても、見てくれる人が事実上居なくなっても、自分としては頑なに続けるつもりでいる。 その時に表現したい自分の思考を、誠実に、8年くらい継続して書いてきたから、これ以上の自己表現の記録は(少なくとも自分にとっては)ないからだ。 もしも自分が死ぬならば、遺書として残すならここに書くし、ここを読んでもらいたい。 今は、ただ幸せを願う気持ちと、葛藤や苦悩と、ただ揺蕩う気持ちで毎日を過ごしている。自分をいつまでも許せず、かっこ悪いけど負の感情を殺さずに、ただ生きている。たとえるならば、陽の当たらない植物のように。1年以上、目を覚ますたびに感じる息苦しさもおわらずに、しなやかだった身体が固くなって、心身共に疲れやすくなってきて。3つ目は、伝えるため。

ラグ

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久しぶりに、ラグを買った。 ジャガード織の紺色のもので、3シーターのソファの前に置くととてもいい感じ。 実はホットカーペットも買って、ラグの下に敷いている。 エアコンだけでは足元が寒いから、急に思い立って買いに行った。 5年間も住んでいて、去年までは灰色のラグを使っていたけれど、ついに処分した。 灰色のラグは、23歳の時に初めて横浜で一人暮らしをしたときに買ったもので、 最近まで長い間よく使っていた思い出の品だ。 ガラスのテーブルと一緒に買って、引っ越しながらもずっと使い続けてきた。 床に置いておくと、よくズレて汚くなってしまったのも懐かしい。 確かFrancfrancで購入して、2万円以上したと思う。 今回、1畳ホットカーペットと紺色のラグで合わせて1万円以下だった。 次にどんな部屋に住むとしても、このラグや、想いでの詰まったソファやクッションは使い続けたいと思っている。 

反省

32歳になってしばらくした まだ30年で人生を語るにははやいと思うけれど 人生は繰り返しの要素が多いと感じる 簡単にいうと、苦しい時期と楽しい時期はやっぱり交互に来るようなもの で、この「楽しい時期」での自分には反省するタイミングが多い 今は、やってみたかった仕事に就けて、楽しい毎日を過ごしている だけれども、そんな時に、いつしか傲慢になってしまう。自分の悪い癖。 ここで言う傲慢とは、人を見下し、人の意見を否定し、人の些細なミスを指摘し、 そのうえ人への感謝を忘れがちになることだ そんな愚かな割には姿はかっこつけていて、自分が有能かのような立ち振る舞いをしている。 振り返ると、時に恥ずかしいくらいに自分はこういう態度をとっている 周りの人間に助けられ、育てられ、支えられて仕事をし、健康でいられることをとうに忘れ 本当にろくでなしかと言われるような傲慢な態度をとってしまう。 これは自分の最大ともいえる欠点だ。 誰のせいでもなく、間違いなく自分の欠点だと思う。 それで、こういう傲慢さが出てくると、仕事にも、プライベートにも必ず支障をきたす。 今がその時期であり、それで反省してこの文面を書いている。 傲慢から失敗を経て反省、これも繰り返している。 数日前にとても悲しいことがあった 自分の考えが、きちんと人に伝わらず、嫌な思いをさせたからだ そんなつもりじゃないんだ、というのはいいけれど、一旦受け止めた側には、自分の考えの背景や真意は伝わらないものだ。何故なら一度傷ついているから。 今まで、人の言葉を受け止めて来たけれど、言葉の裏側には、たくさんの気持ちや葛藤があったはずだ。その言葉の意味が正確じゃないことを知りながら、仕方なくその言葉を選んで、吐いたことだってあるはず。言葉は結果であって、それを出すまでの背景やプロセスはいっぱいあったんだ。 30にもなって、そんなことすら考えずに生きている気がした。 大切な人の考えをきちんと汲めて来たのだろうか。 俺にわかってほしかったのに、わかってくれなくてきっと悲しい気持ちになったであろう人が浮かんだ。もう取返しがつかない。きっと自分に合わせて、相手に言葉を選ばせていたのかもしれない。 もっと洞察しなくてはならないし、もっと逡巡して人の気持ちを汲める人になりたい。

仕事

ひとつの仕事が終わった 長く長く数カ月にわたる仕事が終わり、ようやく普通の時間に帰路についた 最後は眼精疲労になり、集中力も落ちてしまってロクなパフォーマンスが出せなかった おそい時間に食事をするから、朝は睡眠不足と消化不良で胃もたれして 固い身体と冷たい心を叩き起こして仕事をしていたような気がする それでも自分のやったことは大したことないから、正直達成感よりは 安堵感を少しだけ味わったというレベルで、ただただ疲れた感情がそこにあった でも、それが働いたということなのかもしれない 上司から叱られたり、自分に失望したり、嫌になる時も結構あったけど 悔しさ以上に、諦めのような感情が湧いたことが多くて、もうそういう歳なんだろうと思った 昔、違う仕事をしていた時は自分の限界以上に考えたりして、それでも全然足りなくて、悔しくて泣いたりしたこともあった 仕事のミスが悔しくて、悔しくて、自分のふがいなさに苦しくなって夜に何度も吐いてしまったこともあった 今日はひとつの大きな仕事の終わりだったけれど、ずっとずっと苦しんでいた別の仕事もやっとカタがついて やっと肩の荷がほんの少しだけ降りた 突然、課内の人から、ぼそっと「いつもありがとう」と一言だけ言われて それが今まで色んな、色んなことをみていた、みてくれたように聞こえて その場で泣いてしまいそうになった そういう人の一言が、本当に嬉しくて、まだまだやっていけると思える 経験上、辛くてどん底のような毎日や、失敗して怒られて凹んだ日々の中の動きって 人はとても良く見ているものなんだと思った もう駄目だ、限界だ、俺は結局大したことが出来なかった、等という実感のある時は 「仕事をした」ことに何故かなっている 順調に上手く仕事が出来ている時は、あまり働きぶりは評価されていない時が多い その点は、世の中良く出来ているとよく感じる まだまだ俺は中途半端で、ろくなスキルも無いけれど、自分なりに考えて、4月からは積極的に 人に与えていきたい。

未知

ここ毎週、ジムに行っている 負荷をかけてほぼ全てのマシンを2セットこなしていく そしてランニングマシンを高速で3キロくらい走る 盛り上がりも無いし、ただ淡々とこなしていくだけで 楽しいかといわれると、別に楽しいわけではないけれど 終わったあとの、熱いシャワーをただただ、浴びている時間と 次の日から全身が筋肉痛になるのは、なんとなく好きなのかもしれない 「好き」って何かとかんがえると難しいものだ サッカーを好きで20年くらいやっているけれど なぜ好きかを「分けて」考えると非常に難しい 結局は「蹴る」「走る」を集団で繰り返しているだけで ひとつひとつの動作は特に楽しくもない シュートを決めると快感とはいうが、シュートを決めたいから というのはサッカーが好きな絶対的な理由ではない 11人という組織の中で活躍することで他人から認められたいという自己の欲求や チームワークでプレーして共同して相手を倒すという達成感なんてのも 確かにあるのかもしれない。 でも、やっぱり根本的に好きなところではない。 たぶん、ギャンブルのように結果が「わからない」のが楽しくて好きなんだと思う。 試合結果だけでなく シュートを打っても、ゴールできるか、キーパーに獲られるか、枠を外すかは 世界中のだれにもわからないことだ ただのパスだって、相手に読まれたり、味方が感じてなければ通るかわからない その一瞬一瞬で、自分なりの判断をしてその行動をするけど、 上手くいったり、上手くいかなったりする 最高のプレーとなることもあれば、最低のプレーにもなる それが楽しいんだと思う 下馬評が低い自分のチームが、優勝候補と対戦する時も楽しい 思いきって、ひと泡吹かせるどころか、勝ってやろうとわくわくするから 小学生の時、運動会は紅組と白組で戦う形式だったけれど 負けると本当に悔しくて、クラスで泣いたことがある 高校の時、岡崎慎司のいた滝川第二と練習試合をしたことがある その時残念ながら岡崎は出なかったけれど、俺はDFとして出ていて 後半の途中まで死にもの狂いで相手を抑えて、全国屈指の強豪を完封した 最後に点を取られて負けた覚えがあるけど ものすごく燃えたし、負けたのも悔

膝の怪我

久しぶりに、膝が腫れた 1月の初めから引っかかり感と疼痛がずっとあって、様子を見ていた 経験上、膝の中の状態が悪くなっているだろうことは想像してた そこで重い腰を挙げて、手術後3年ぶりに、主治医のもとへ行ってみた 南与野駅付近にクリニックを開業してからは、膝の異常で行くのは初めて 右ひざは17歳から今までに4回も手術をしている 靱帯を2度断裂して、その再建手術が2回 その再建手術で靱帯をつなぎ止めたボルトを抜く手術が2回 その手術で半月板もとっているから、本当に何度も膝組織には迷惑をかけている もちろんすべて、一人の主治医によって手術をして治してもらっているから 主治医は俺にとっては感謝してもしきれない、神様のような存在 今までの13年間のサッカーや運動、日常生活すべてが一人の医者によって 支えられてきたようなものだ いなくなったら本当に困ってしまう そんな主治医がいるから 今回みたいに膝に異常があるものなら、どこにいようと診てもらおう、と思う 勤めている病院は17歳の時から実は4回変わっていて、毎回全ての病院で診てもらっている まったく優しさを感じられない態度なのに、「うん、みるよ」とつめたく言って、必ず治してくれた そんなことを思い出しながら、3年ぶりに診察を受けてきた 相変わらず無愛想で、長年のリピーターの自分のことを覚えているのかすらよくわからないが、それでも真摯で適確な順序で診察をしていく 膝の異常で一番問題なのは、前十字靱帯 これは二度と再生しない組織で、切れていたら手術をして新しく作らない限りスポーツは出来なくなるから 手術をしても、長いリハビリを経て、復帰まで半年から1年もかかる重傷だ 次に、膝の骨と骨の間にある半月板 これも再生しない組織で、これが欠けたりすると骨に挟まり、歩けなくなるから これも手術が必要で、靱帯どうようリハビリを経て、復帰まで4カ月から半年はかかる 今までに前十字靱帯を二回断裂して手術をし、両足の内側半月板も切除しているから それらの症状も絶望感も身体が覚えている 今回も、いつものように手技やテストで靱帯と半月板の状態を診ていく おそらく過去何千本も膝を診てきた主治医は、その精度は日本一だと思う 99%くらい、このアナログ診察で原因は心で