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いとこ

ときどき、ふと思い出すひとがいる。 従兄のH。 俺より3つ年上だけど、俺が26歳の時に亡くなってしまった。 登山家で、世界中の山を登っていた。 亡くなったのはアルゼンチンの氷山の谷間。落下しても、死体を回収するのに数日はかかったそうだ。 久しぶりに会ったときは骨になっていた。 ときどき日本で日雇いや季節労働者のような仕事をして、また山に行く生活を 何年もしていたらしい。 らしい、というのは俺も10年ほど会えなかったからだ。 それくらい夢中で生きていた人だった、と思う 俺が3歳くらいの時から、兄のようにいつも遊んでもらった。 従兄の家は農家で、裏には山があったから、いつも二人で山に行った。 木登りをしたり、柿を食べたり、釣りをしたり、ブランコを作ったり悪ふざけをしたり色々やった。 俺の幼少時の記憶はいつもHと一緒だ。 当時から運動神経には自信があったけれど、Hは段違いに木登りが早く上手かった。 足場や枝がないのに、何十メートルもの高さまで登るくらいすごい能力だった。 また、「雨の匂い」がわかるんだ、といって、匂いがしたと言ったら本当に雨が来たことを今でも 覚えている。虫も、魚も、花も、自然にとても詳しかった。 Hは深い目をしていた。 動物はもちろん、自然のことにすごく敏感で、独特の考えをしていた。 もともと人見知りだったけれど、Hとはいつも自然の中で会話していた。 言葉では無くても、透明なコミュニケーションがとれていた時間だったと思う。 在り来たりに、勉強をしたり、恋をしたり、ゲームをしたり、仕事をしたり、家庭を築いたり、そういう 時間を全て捨てて、山と自然と付き合っていくという時間を選んだ人 そんな印象の人 家族からは叱られたこともあったみたいだけど、Hは自分の人生を全うに生きた存在だったと 俺は葬式で感じた。 きっと、しぬ間際も、全力で生き生きと山に向かっていたはずだし、そこに後悔なんてなかったと思 う。