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2018年の被災

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2018年はどんな年だったかというと、非常に運が良い年だった。 なぜかというと、8月13日の夕方、練馬に集中豪雨と多くの落雷があり、我が家にも雷が落ちた。 正確には、落雷の影響により、我が家(部屋)のガス管が破裂して引火したらしいのだが、 部屋が燃えてしまい、家を失った。生まれてはじめて被災者になるという経験をした。 ただ、落雷があり、火災がおきたときには、自分は職場で勤務をしていたので、 大家さんからの「部屋が燃えていますので、帰ってきてください」という電話で、初めて事態を知った。そして慌てて帰宅したら、アパートの前が消防車や救急車、警察官だらけで、事態の深刻さを感じた。 これだけ書くと、なんて悲惨な出来事に見舞われたのかと思うが、 ・自分は身体が無事であること、 ・アパートの住人に被害者がいなかったこと ・自然災害であり、誰にも過失がなかったこと ・失った家財は、保険により保障されたこと このことで、精神的にも金銭的にもショックを受けずに済んだ。 その日から、生活再建に向けてスタートを切ることができた。 ちなみに、大家さんのご厚意もあって、部屋を全部綺麗にリフォームしてくれて、 今は被災前と同じ部屋に戻って住んでいる。瓦礫の片づけやら、保険の手続きやら、一人で大変だったけど、本当に自分は恵まれていると感じた。 さらに、オマケとしては、被災する2日前が、自分の昇進選考の面接(2回目)だった。 もし面接後に被災したら、少なからず精神的なショックを受けていて、力を存分に発揮できなかったかもしれない。 (ちなみに、選考には無事に通りました。来年からはまた違う仕事をすることになりそうです) 改めて振り返ると、本当に自分は幸運だったと思う。 だから、2019年も、時に辛いことがあっても、自分ばかりとへこまず、少しでも ポジティヴな面を探して、地道に進んでいけたらよいと思う。

このブログについて

実はこのブログには自分なりの意味や目的があると考えていて、 それは3つほどあると思っています。 1つは、自分自身の過去の振り返り。 あの時何をして、何を感じて、どんな時間を過ごしていたのかを振り返るため。 自分を反省したり、当時を懐かしがったり、また明日も頑張ろうと思ったり。あり来たりだけどそんな感じ。今では年に数回程度しか更新できなくなってしまったけれど、実は時々見て振り返っている。 恥ずかしいけれど、自分の過去の挫折を思い出して泣いたりすることもある。 2つ目は、自分の思考を整理するため。 自分は頭の中の色々を、書くことや文字にすることで整理する癖がある。 仕事では、大きなノートにシャープペンで図やスキームをたくさん描いて、それを唸って推敲して、資料に仕上げていくことが多い。このように、自分は可視化することで思考を整理する、ということを今更ながら最近自覚した。 つまり、8年前から始めたこのブログは、自分の頭の中の思考で、ぐちゃぐちゃしていたもの、悩みもがいていたり苦しいもの、悲しいもの、寂しいもの、等が表現されたものだと思っている。恥ずかしいことや隠したいことも、ここでは言えたりする。人前では明るく強がっている割に、根暗だったり闇がある部分についても恥ずかしがらずに表現できる。 だからと言ってはだけど、このブログを辞める気はない。(タイトルだけを見ると辞めそうだけど) たとえ数年に一度の更新でも、老人になって寝たきり状態になっても、見てくれる人が事実上居なくなっても、自分としては頑なに続けるつもりでいる。 その時に表現したい自分の思考を、誠実に、8年くらい継続して書いてきたから、これ以上の自己表現の記録は(少なくとも自分にとっては)ないからだ。 もしも自分が死ぬならば、遺書として残すならここに書くし、ここを読んでもらいたい。 今は、ただ幸せを願う気持ちと、葛藤や苦悩と、ただ揺蕩う気持ちで毎日を過ごしている。自分をいつまでも許せず、かっこ悪いけど負の感情を殺さずに、ただ生きている。たとえるならば、陽の当たらない植物のように。1年以上、目を覚ますたびに感じる息苦しさもおわらずに、しなやかだった身体が固くなって、心身共に疲れやすくなってきて。3つ目は、伝えるため。

ラグ

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久しぶりに、ラグを買った。 ジャガード織の紺色のもので、3シーターのソファの前に置くととてもいい感じ。 実はホットカーペットも買って、ラグの下に敷いている。 エアコンだけでは足元が寒いから、急に思い立って買いに行った。 5年間も住んでいて、去年までは灰色のラグを使っていたけれど、ついに処分した。 灰色のラグは、23歳の時に初めて横浜で一人暮らしをしたときに買ったもので、 最近まで長い間よく使っていた思い出の品だ。 ガラスのテーブルと一緒に買って、引っ越しながらもずっと使い続けてきた。 床に置いておくと、よくズレて汚くなってしまったのも懐かしい。 確かFrancfrancで購入して、2万円以上したと思う。 今回、1畳ホットカーペットと紺色のラグで合わせて1万円以下だった。 次にどんな部屋に住むとしても、このラグや、想いでの詰まったソファやクッションは使い続けたいと思っている。 

反省

32歳になってしばらくした まだ30年で人生を語るにははやいと思うけれど 人生は繰り返しの要素が多いと感じる 簡単にいうと、苦しい時期と楽しい時期はやっぱり交互に来るようなもの で、この「楽しい時期」での自分には反省するタイミングが多い 今は、やってみたかった仕事に就けて、楽しい毎日を過ごしている だけれども、そんな時に、いつしか傲慢になってしまう。自分の悪い癖。 ここで言う傲慢とは、人を見下し、人の意見を否定し、人の些細なミスを指摘し、 そのうえ人への感謝を忘れがちになることだ そんな愚かな割には姿はかっこつけていて、自分が有能かのような立ち振る舞いをしている。 振り返ると、時に恥ずかしいくらいに自分はこういう態度をとっている 周りの人間に助けられ、育てられ、支えられて仕事をし、健康でいられることをとうに忘れ 本当にろくでなしかと言われるような傲慢な態度をとってしまう。 これは自分の最大ともいえる欠点だ。 誰のせいでもなく、間違いなく自分の欠点だと思う。 それで、こういう傲慢さが出てくると、仕事にも、プライベートにも必ず支障をきたす。 今がその時期であり、それで反省してこの文面を書いている。 傲慢から失敗を経て反省、これも繰り返している。 数日前にとても悲しいことがあった 自分の考えが、きちんと人に伝わらず、嫌な思いをさせたからだ そんなつもりじゃないんだ、というのはいいけれど、一旦受け止めた側には、自分の考えの背景や真意は伝わらないものだ。何故なら一度傷ついているから。 今まで、人の言葉を受け止めて来たけれど、言葉の裏側には、たくさんの気持ちや葛藤があったはずだ。その言葉の意味が正確じゃないことを知りながら、仕方なくその言葉を選んで、吐いたことだってあるはず。言葉は結果であって、それを出すまでの背景やプロセスはいっぱいあったんだ。 30にもなって、そんなことすら考えずに生きている気がした。 大切な人の考えをきちんと汲めて来たのだろうか。 俺にわかってほしかったのに、わかってくれなくてきっと悲しい気持ちになったであろう人が浮かんだ。もう取返しがつかない。きっと自分に合わせて、相手に言葉を選ばせていたのかもしれない。 もっと洞察しなくてはならないし、もっと逡巡して人の気持ちを汲める人になりたい。 ...

仕事

ひとつの仕事が終わった 長く長く数カ月にわたる仕事が終わり、ようやく普通の時間に帰路についた 最後は眼精疲労になり、集中力も落ちてしまってロクなパフォーマンスが出せなかった おそい時間に食事をするから、朝は睡眠不足と消化不良で胃もたれして 固い身体と冷たい心を叩き起こして仕事をしていたような気がする それでも自分のやったことは大したことないから、正直達成感よりは 安堵感を少しだけ味わったというレベルで、ただただ疲れた感情がそこにあった でも、それが働いたということなのかもしれない 上司から叱られたり、自分に失望したり、嫌になる時も結構あったけど 悔しさ以上に、諦めのような感情が湧いたことが多くて、もうそういう歳なんだろうと思った 昔、違う仕事をしていた時は自分の限界以上に考えたりして、それでも全然足りなくて、悔しくて泣いたりしたこともあった 仕事のミスが悔しくて、悔しくて、自分のふがいなさに苦しくなって夜に何度も吐いてしまったこともあった 今日はひとつの大きな仕事の終わりだったけれど、ずっとずっと苦しんでいた別の仕事もやっとカタがついて やっと肩の荷がほんの少しだけ降りた 突然、課内の人から、ぼそっと「いつもありがとう」と一言だけ言われて それが今まで色んな、色んなことをみていた、みてくれたように聞こえて その場で泣いてしまいそうになった そういう人の一言が、本当に嬉しくて、まだまだやっていけると思える 経験上、辛くてどん底のような毎日や、失敗して怒られて凹んだ日々の中の動きって 人はとても良く見ているものなんだと思った もう駄目だ、限界だ、俺は結局大したことが出来なかった、等という実感のある時は 「仕事をした」ことに何故かなっている 順調に上手く仕事が出来ている時は、あまり働きぶりは評価されていない時が多い その点は、世の中良く出来ているとよく感じる まだまだ俺は中途半端で、ろくなスキルも無いけれど、自分なりに考えて、4月からは積極的に 人に与えていきたい。

未知

ここ毎週、ジムに行っている 負荷をかけてほぼ全てのマシンを2セットこなしていく そしてランニングマシンを高速で3キロくらい走る 盛り上がりも無いし、ただ淡々とこなしていくだけで 楽しいかといわれると、別に楽しいわけではないけれど 終わったあとの、熱いシャワーをただただ、浴びている時間と 次の日から全身が筋肉痛になるのは、なんとなく好きなのかもしれない 「好き」って何かとかんがえると難しいものだ サッカーを好きで20年くらいやっているけれど なぜ好きかを「分けて」考えると非常に難しい 結局は「蹴る」「走る」を集団で繰り返しているだけで ひとつひとつの動作は特に楽しくもない シュートを決めると快感とはいうが、シュートを決めたいから というのはサッカーが好きな絶対的な理由ではない 11人という組織の中で活躍することで他人から認められたいという自己の欲求や チームワークでプレーして共同して相手を倒すという達成感なんてのも 確かにあるのかもしれない。 でも、やっぱり根本的に好きなところではない。 たぶん、ギャンブルのように結果が「わからない」のが楽しくて好きなんだと思う。 試合結果だけでなく シュートを打っても、ゴールできるか、キーパーに獲られるか、枠を外すかは 世界中のだれにもわからないことだ ただのパスだって、相手に読まれたり、味方が感じてなければ通るかわからない その一瞬一瞬で、自分なりの判断をしてその行動をするけど、 上手くいったり、上手くいかなったりする 最高のプレーとなることもあれば、最低のプレーにもなる それが楽しいんだと思う 下馬評が低い自分のチームが、優勝候補と対戦する時も楽しい 思いきって、ひと泡吹かせるどころか、勝ってやろうとわくわくするから 小学生の時、運動会は紅組と白組で戦う形式だったけれど 負けると本当に悔しくて、クラスで泣いたことがある 高校の時、岡崎慎司のいた滝川第二と練習試合をしたことがある その時残念ながら岡崎は出なかったけれど、俺はDFとして出ていて 後半の途中まで死にもの狂いで相手を抑えて、全国屈指の強豪を完封した 最後に点を取られて負けた覚えがあるけど ものすごく燃えたし、負けたのも悔...

膝の怪我

久しぶりに、膝が腫れた 1月の初めから引っかかり感と疼痛がずっとあって、様子を見ていた 経験上、膝の中の状態が悪くなっているだろうことは想像してた そこで重い腰を挙げて、手術後3年ぶりに、主治医のもとへ行ってみた 南与野駅付近にクリニックを開業してからは、膝の異常で行くのは初めて 右ひざは17歳から今までに4回も手術をしている 靱帯を2度断裂して、その再建手術が2回 その再建手術で靱帯をつなぎ止めたボルトを抜く手術が2回 その手術で半月板もとっているから、本当に何度も膝組織には迷惑をかけている もちろんすべて、一人の主治医によって手術をして治してもらっているから 主治医は俺にとっては感謝してもしきれない、神様のような存在 今までの13年間のサッカーや運動、日常生活すべてが一人の医者によって 支えられてきたようなものだ いなくなったら本当に困ってしまう そんな主治医がいるから 今回みたいに膝に異常があるものなら、どこにいようと診てもらおう、と思う 勤めている病院は17歳の時から実は4回変わっていて、毎回全ての病院で診てもらっている まったく優しさを感じられない態度なのに、「うん、みるよ」とつめたく言って、必ず治してくれた そんなことを思い出しながら、3年ぶりに診察を受けてきた 相変わらず無愛想で、長年のリピーターの自分のことを覚えているのかすらよくわからないが、それでも真摯で適確な順序で診察をしていく 膝の異常で一番問題なのは、前十字靱帯 これは二度と再生しない組織で、切れていたら手術をして新しく作らない限りスポーツは出来なくなるから 手術をしても、長いリハビリを経て、復帰まで半年から1年もかかる重傷だ 次に、膝の骨と骨の間にある半月板 これも再生しない組織で、これが欠けたりすると骨に挟まり、歩けなくなるから これも手術が必要で、靱帯どうようリハビリを経て、復帰まで4カ月から半年はかかる 今までに前十字靱帯を二回断裂して手術をし、両足の内側半月板も切除しているから それらの症状も絶望感も身体が覚えている 今回も、いつものように手技やテストで靱帯と半月板の状態を診ていく おそらく過去何千本も膝を診てきた主治医は、その精度は日本一だと思う 99%くらい、このアナログ診察で原因は心で...

2014

慌しく年末が過ぎ、いつしか年の瀬になっている 昨日で忘年会も終わりだが、今年は中学校の同窓会があった 23時に地元に帰ってから参加したが、かなりの大人数の参加で驚いた 当たり前だけど、30歳ともなれば、皆それぞれ違った生活をして、全く違う人生を歩んでいる 結婚は当たり前で、子どもが二人いるような同級生もザラ たった15年間で、人は仕事をしてお金を稼ぎ、家族を増やすこともできるんだと当たり前のことに偉く凄いと思った 自分はろくに話せる近況話はないので、馴染みの人と軽く飲んで帰ろうという魂胆だったけれど、みんながたくさん興味をもって話しかけてくれたので、驚き嬉しい気持ちだった 何も残していないし、何も貢献していないのに、地元の友人はほんとに温かかった 久しぶりに吸った空気も東京の何倍も澄んでいるし、いつか帰ってきたいなと思ってしまった 自分は何をしていきたいのか、何ができるのか、30歳になったのにまだ不明確なままだ。 そうして時々悩みながら目の前の仕事に一心に取組むことで、今を生きることを続けてきただけで、今になってしまった こうありたい、という姿は自分の中にたくさんあるし、そのクオリティももっと高い。 120点を目指しながら人より時間をかけた努力をして80点を取り、生き抜いてきたようなスタンスで、特に優れてもいないし、120点を目指す理由を聞かれてもそれを目指す深い理由もない 今回も地元の友人に会って沢山感じたことだけれど、もっと人に貢献できる人にならないといけない 自分がよければ、自分の身の周りがよければよいとは決して思ってはいないけれど、知らぬままに自分中心にし、どこかで楽に生きようと思ってしまっている 仕事もプライベートも、今は反省しかしていない

新しい仕事

年度途中ではあるけれど、これから新しい仕事をやることになりそうだ スキルも知識も人間関係もじぶんが満たしているとは思えないが、それでも 任されるのは名誉なことだと考えてやらないといけない 豊臣秀吉が昔農民だったころ、名前すらなく織田信長から「サル」と呼ばれていた召使だったが、信長の草履を胸で温めて待っているほど、気を使う人間だったそうだ 誰でも出来る地味な仕事をしっかりとやる、人には威張れる仕事ではないかもしれないが、その地味な仕事をしっかりと、確実にこなせる人は、地味な仕事をいつまでも任されることはないと言われる。 よくある話だけれど、これは自分が好きなストーリーのひとつ。 自分がそのように地味な仕事をしっかりやれたか、やれているかは、正直胸を張って言えない。 だけど、いつもこの話を思い出して、誰でもそうやって生きているんだと考えて、地味な仕事へ少しでも前向きに取り組むようにしている。 というかそうでもしないとできない。 何が足りないとか、あれをしとけばよかったという沢山のことを、時間を限ってでもすこしづつやっていくという現在の過ごし方を続けていきたい

健康

あわただしく過ぎる毎日の中で、今日も職員が倒れた うちの係は先月一人がメンタルになってしまったばかりだが、その人の前に勤務していた前任者が 倒れてしまった 過呼吸と痙攣だそうだ 人が体調を崩すのは、本当に一瞬だと毎回思う 昨日まで元気だったとか、さっきまで明るく話していたなどと言って 次の瞬間には動けなくなってしまったりする でもそれは、誰にも当たり前に起こることなのだと思う 毎日細胞が生き死にしている事実なんだと思う ずっと動いていた機械が錆ついたり、メンテナンスが必要になるのと同じで 必ず人間だれしもトラブルやアクシデントが来るものだ 今日も、係長は誰よりも率先して動き、指示を出していた 何が起きても、適確に動き、そして対処していく当たり前のことが しっかりと出来る人間になりたいと感じた

いとこ

ときどき、ふと思い出すひとがいる。 従兄のH。 俺より3つ年上だけど、俺が26歳の時に亡くなってしまった。 登山家で、世界中の山を登っていた。 亡くなったのはアルゼンチンの氷山の谷間。落下しても、死体を回収するのに数日はかかったそうだ。 久しぶりに会ったときは骨になっていた。 ときどき日本で日雇いや季節労働者のような仕事をして、また山に行く生活を 何年もしていたらしい。 らしい、というのは俺も10年ほど会えなかったからだ。 それくらい夢中で生きていた人だった、と思う 俺が3歳くらいの時から、兄のようにいつも遊んでもらった。 従兄の家は農家で、裏には山があったから、いつも二人で山に行った。 木登りをしたり、柿を食べたり、釣りをしたり、ブランコを作ったり悪ふざけをしたり色々やった。 俺の幼少時の記憶はいつもHと一緒だ。 当時から運動神経には自信があったけれど、Hは段違いに木登りが早く上手かった。 足場や枝がないのに、何十メートルもの高さまで登るくらいすごい能力だった。 また、「雨の匂い」がわかるんだ、といって、匂いがしたと言ったら本当に雨が来たことを今でも 覚えている。虫も、魚も、花も、自然にとても詳しかった。 Hは深い目をしていた。 動物はもちろん、自然のことにすごく敏感で、独特の考えをしていた。 もともと人見知りだったけれど、Hとはいつも自然の中で会話していた。 言葉では無くても、透明なコミュニケーションがとれていた時間だったと思う。 在り来たりに、勉強をしたり、恋をしたり、ゲームをしたり、仕事をしたり、家庭を築いたり、そういう 時間を全て捨てて、山と自然と付き合っていくという時間を選んだ人 そんな印象の人 家族からは叱られたこともあったみたいだけど、Hは自分の人生を全うに生きた存在だったと 俺は葬式で感じた。 きっと、しぬ間際も、全力で生き生きと山に向かっていたはずだし、そこに後悔なんてなかったと思 う。

29

つい先日、29歳になりました。 30歳まであと360日くらいで、悪い意味で大人になってしまったような気がしました。 悪い意味で、というのは、身の回りのことに多くを求めなくなってきた実感があるのです。 仕事についていて、続けられる見込みがあって、趣味も複数あって、身体も健康で、落ち着いた精神状態で生きていけるので、とても恵まれた環境の日々を送っている気がします。 人間関係も良好で、いい上司といい職場で新しい仕事が出来ているので、これを機にたくさん吸収していきたいと思っています。 趣味でいえば、新しくシーバス釣りにも行きたいし、自転車を購入して走りに行ってみたいし、株も始めたい。どれもサポートしてくれる素敵な人達が周りにいるので、見渡すと恵まれているなあと思うわけです。 昔の付き合いもあるうえに、新しい付き合いもいくつか広がっていて客観的に言ってもいい環境。 でもでも、昔はそれでもさらに欲があった気がするんですよね。 あれしたい、こうなりたい、こうあるべきだ等等、成就可能性は別として、夢を見ていたんだけど、今は目の前にあることに感謝し、スケールの小さい人間になってしまった気がするのです。 贅沢なのかもしれないけど、俺にしか出来ない打ちこめるものを、求めている気がするんです。 そう思えるようになったのは、余裕が出てきた証拠なのかな。

準備

新年あけましておめでとうございます。 2013年は、今までの28年がそうであったように また想像がつかないようないろいろなことが起こる1年になると思います。 そんないろいろなことが起こる毎日について、ふと考えたことを今日は綴ってみたいと思いました 待ち受けているすべての物事には、事前に準備ができるものと、そうでないもの、すなわち突然おとずれるものがある。 準備ができる物事は、全ていい準備をして臨めたら、落ち着いて対応して、いい気持ち(緊張も)で過ごせて、結果的にうまくいく、もしくはうまくいく可能性が高くなる。 突然おとずれる物事は、びっくりするし、あせるし、すぐにいい行動や意思決定をするのがむずかしい時がある。もちろん、その場の行動でうまくいくこともあるけれど。 世の中の全てのことって、大雑把に大きくわけると、この2つに分けられると思う。 自分はそれに対してどうかというと、「準備ができる物事」については良く調べ、周りに聞いて、自分なりの準備をしている。それが習慣になり、ルーティンになっていることも多い。これが何事にもしっかりできる人は、努力家とか真面目と捉える人も多くて、実際にそうだと自分でも思う。それに加えて緊張しやすい性格や、人前で恥をかきたくないとか性分が影響していると自分では感じる。 まず、新しい経験をする際には、必ず誰かに話し、まず意見をもらう。本を読むときもあるし、ネットでは必ず検索エンジンで叩いて過去の経験者の体験を読んで頭で空想する。そうやってある程度情報を得たうえで、今度はいかに準備をしていくかを段階的に整理をし、そして準備の実践に移る。 準備の実践では、思っていたほどうまくいかなくて焦ることもあれば、案外楽勝だと感じで時間や労力をコントロールしたりする。この間も、身近な人に近況を話したり、過去の経験談を参考にして自分の状態が問題ないかを随時確かめてみる。 そうして準備を段階的に進めていって、最後に本番のようにリハーサルを何度もし、「これだけ準備をしたんだからきっとうまくいく」という自信と「準備をしても、失敗は誰にでもあるんだから」という予防線を心に持つことで、本番に精神的に楽な状態ではいっていけるようにする。 時間や人間関係(相談できる人の有無)などで左右されるものの、このプロセスを幾度も繰り返して生...

2012と来年に向けて

あと40分で2013年となる 今年もあとわずかだが、まじめな感じで2012年のおもうところを総括したい ・仕事については、自己採点50点 新しいことを任されて、失敗も多々あった上に、「もっとうまくやれたはず」という想いがあった くよくよとへこみ、周りに相談してしまうことも多かった(これは性分だが) ゆえに、2013年は仕事においては更にスマートかつタフに業務遂行するというのが目標。 だけど、そんなにアバウトだと達成しないから ①自分で調べてもがく(本を読む)、複数案を考える ②周りによきアドバイスをもらえる人を増やす、そういう人間関係を構築していく ③オンオフ切り替えを完璧に この3点をまず実施したいと思う。 ・サッカー関係については、自己採点80点 ことしはかなり充実していたと思う。プレーではどのチームでもFWとしてプレーさせてもらえて、周りに頼られるようになった。 特に高校時代からのチームメイトからは、「おまえが現役時に早く(膝が)治っていれば勝てたのに」とか「今のチームの①トップは間違いなくおまえだ」とこの上なくうれしいコメントをもらった。 これに恥じないように、俺はもっともっとうまくなりたいし、もっと賢いプレーも、苦しいときに味方を救う走るプレーもしなくてはならない。自分がキャプテンのつもりでやろうと思う。 こういう目標がはっきりと出来たのは高校引退以来、初めてだから、今は本当にうれしい。 プレー以外でも、レッズの観戦にもたくさんいけた。たぶん過去最高の回数参戦した。 靭帯の怪我と生涯真面目に付き合うこと、それから悔しい試合や苦しい時間もこれからあるとしても、死ぬまでサッカーと付き合って生きたいと心で再認識できたのはとても精神的によかった。 80点にしたのは、大事な試合でシュートを外したことと、もっと俺は走れたからと思うから。 来年はさらに充実させた1年にしたい。 ・人間関係については、自己採点無し いろいろな人に支えられていると感じた1年だった。結婚式の2次会の司会もしたし、セミナーでプレゼンしたり、就職活動の相談に乗ったり、と人に任せてもらえる喜びはとても感じた。でも喜びだけで、満足してはいけない。俺はもっともっとやれる。アイ...

久しぶりのサッカー

今日は会社全体のサッカー大会ということで 駒沢公園オリンピック競技場でサッカーをしてきました フットサルは毎週やっているけれど、フルコートのサッカーはおそらく数年ぶり。 4年ぶりくらいかな。実際のプロなんかと同じ広さでの試合というわけですよ。 広さでいうと ①フットサル(フルコートの4分の1から3分の1) ②ソサイチ・7人制(フルコートの半分) ③サッカー(フルコート) という違いがある。 広さが違うと、対人の距離も大きく変わり、ボールタッチもパスも、いつもフットサルやっている感じでは上手くいかなくて なかなか大変でした 結果は1-2で負けてしまいましたが、1点とれたし、何より久しぶりにサッカーが出来て本当に楽しかった 昨年は膝の手術をして一切サッカーなんて出来なかったから。 まだまだボールの扱いもシュートも本調子ではないけれど、体力だけは十分通用するし、負けない気がしました。 2試合目もやりたかったくらい。 今は怪我もなく、いい調子でプレーが出来ている。そして今年は試合で必ずゴールが決まっている。 いつもピッチに感謝して試合に臨むことと、下半身のストレッチを入念にやるようにしていること、食事のバランスに気を使うこと、試合後に入念にマッサージをすること(今日も行った) これらは、ようやく最近になってはじめたことだ。 体重が少し重いだけで、足腰の負担は変わるし、柔軟性が足りないと、すぐに筋肉は怪我をする。 すべて小さいことかもしれないけれど、こういう積み重ねは、サッカーを続けたいなら進んでやっていきたい。 今までもこれからも、本能でプレーするスタイルは何も変わらないけれど、これから加えて意識して知識を付けて、それを生かしていくことで、よりいいプレーが出来たらいい。 今日はもっと走れたし、もう1点取れた。シュートももっと打てた。味方を救うようなプレーももっと出来たはずだ。 飽くなき気持ちにさせてくれるのが、サッカーの一番いいところだと思う。

猫背

28歳になった(なっている)ので、ここ数年身体の歪みを非常に感じる。 既に膝の持病で3度の手術を施しているため、足腰に負担がかかっているのは仕方がないが 足腰だけでなく、背中とか肩とかも疲れていることがおおい その疲れは、毎日の勤務のほかに、自分特有の癖のせいだと思っている。 自分が気になっているのは以下の癖である ・足をくむ ・首をバキバキならす ・猫背 特に猫背は幼少時から深刻だ 骨盤がずれて、肩こりの原因にもなる。腹がでやすくなるし、写真の見た目も良くない。 そしてサッカーをやる際も前屈みになる。ドリブルの際はボールをみるので仕方ないが。 というわけで、猫背改善計画を実施しようと思う まず1年、今年は年末にかけて効果的な方法を調べて試してみる 本を読んだり、そういう整体院に行くのか、知らないが、とにかく方法は全部やる 年明けからはたくさんトライした、自分に合った方法を無理なくスタートする 好き嫌いはないし、健康に磨きをかけるためにも、今度は身体のメンテナンスをしていこう。 そう思った。

年度末

あっという間に3月も中旬になりました やっと膝が調子が良くなって フットサルが出来てきています まだパフォーマンスは60パーセントくらいだけれど プレー中は自分を忘れられる、貴重な時間となっています 仕事がだいたい22時に終わるので、帰ってきてもご飯とお風呂しかやることがなく 週末にリフレッシュ出来ないと、息が詰まってしまいますね 今日は20時に上がって(早いほう)ランニングをしてきました ランニングも、感情を切り離す一つの方法です 最近は思い悩むことも前よりは減ったような気がします どうしようもないことを思考から手放すようになってきたんです 毎日仕事をしていると、不安も葛藤も悔しさも、悲しさもあるんだけど うまく付き合っていけるような気がしてきた 「人生上手く行っているようにしか見えない」 「どこからそんなに自信が湧いてくるんですか」 最近周りから言われた言葉です 当の本人は、疲れたり、やさぐれたり、愚痴ったり、自信をなくしたりしているんですけどね やっぱり人間には、見えない部分がとてつもなく大きいんだなと思う 最近仕事で達成感を感じたのは、電話越しのクレームで、話を聞き続けて笑いをとること 職員の笑いではないですよ。クレーマーから笑いをとるんです これは怒りが一瞬で和みに変わるので、ものすごく達成感があります (その分実際にやるのは非常に難しいんですけどね) クレーマーも穏やかになって受話器を置く、俺も苦情報告書を書かなくて済む。 まさにウィンウィン。 資料作成のスピードは並みだし、まだまだ仕事は覚え切れてないけど こういう日常も大切にしていきたい。

時間軸と悩むこと

今年もあっという間に年の瀬になってしまいました。 1週間が矢のように速く過ぎて行くなあと、毎週思います。 子供の頃に比べると、時間の経つのが速く感じるというのは良く聞く話だ これは年をとることによって、変化に疎くなっていくからこのように感じるのだそうだ 子供の頃は新鮮なことが多く、色々な変化に敏感だったから、毎日が長く感じるのだとか。 逆に老人は、単調な毎日だから、すぐに朝が夕方になり、「今日は何日だっけ?」という時間感覚になる。 時間の過ぎ方は自分の状態によっても変わる。 体調が悪いような、辛い嫌な時間はとても長く感じるし、ハッピーで充実している楽しい時間はあっという間に終わる。 つまり、年齢によっても自分の状態でも時間の流れ方は変わってくる。 と、いうことは、時間は各人平等に与えられているわけではないということか。 24時間365日は、人によって長さが違うのだ。 この内容を、大学時代に客観的時間軸(各人平等な時間)と、主観的時間軸(自分の感じる時間)というふたつに分けて、論文を書こうとしたのを想いだした あれから数年、振り返るとあっという間に過ぎて行ったが、思い悩む時間はとても多かった 悩むことが必要十分な内容もあれば、過度に悩んでとりこし苦労な内容も多かった 逆にもっと悩むべき内容もあったのかもしれない 悩むことが習慣となっている俺がだした一つの結論は、悩みの99パーセントは 1年後には必ず忘れて気持ちよく生きているということだ ほとんどは1年どころか1週間程度で忘れていることが多い 7割くらいは2日程度で忘れている。 残りの1パーセント、1年以上の忘れられない悩みは、付き合っていくことを受け入れて楽になる。 俺は、その意味で未だ永久に悩まされる悩みに出会ったことはない。 今後も性格上、数えきれない程悩むことであろうが 自分なりの上記の統計を思い出せば、少しは、悩まずに即座に切り替えられるようになるのだろう

仕事の集中力を高める方法①

以下のサイトからの引用ですが、コピペします。 http://lifehacking.jp/2007/05/48-minute-session/ 1時間を 48 分と 12 分に分割して、48分間はすべての雑音をシャットアウトして集中して仕事を片付けていき、その後12分間リラックスしてトイレにいったり、コーヒーを飲んだり、ちょっとメールをチェックしたりするというものです。 たったこれだけのテクニックですが、リンク先のブログにはこのテクニックを1日4回実行させることで、200ページの本を2週間で書き上げた人の話も紹介されていて、仕事のペースを作るのには非常に役立ちます。48分:12分 の分け方も恣意的ですが、実際にやってみると良い目安となっています。私の意志が弱いだけかもしれませんが、どうも集中力というのは1時間ちょうどではなく、せいぜい1時間弱しかもたないようです。 このテクニックが有効なのは、やる気や集中力を燃え尽きる直前のところで制御するという点にあります。私などは一度に仕事を詰め込みすぎるとかえって急速に燃え尽きてしまい、なんだかいやになって現実逃避にウェブをさまよい始めるという悪癖がありますので、このテクニックは割と頻繁に使います。 注意したいのはこの12分の休息は義務だということです。「おっ、調子がいいからこのまま続けよう」という発想で 48 分のリミットを超えて仕事を続けると、あとでガクッとエネルギーが足りなくなる傾向があるようです。

セレクト

このブログは、把握している限りでは 2名しか読んでいる人がいないということから 今日はプライベートな話題を書いてしまおうと思う 最近は人生で初めて2人の女性を好きになった といっても、2人と同時に付き合っていたわけではないから 二股をかけたとか、浮ついたものではなかったと、自分では思っている むしろ心底真面目に悩んでしまった しばらく人を好きになっていなかったため、それだけの人が2名いて幸せ者だ と自分目線では思うんだけれど 相手在りきのことなので、そんな自分目線ばかりではいけないと思っていた たくさん会って話をして、その人を良く知ってから、結論(付き合うか、そうでないか)をだそうと思っていたし 自分にはそれが出来ると信じていたけど そうはいかなかった 俺も悩んでいるのが辛かったし、相手も辛そうだった だから結局感情を中心にして、感覚的に答えをだしたと思う そのために、ひとりの人とはお別れをすることになった すごく自分を想ってくれた人で、すごく俺と相性がいい人だった 家庭環境も、育ちも、考え方もシンクロしていたように思う 言わずとも考えていることが想像できた 俺は27年生きてきてそういう人に出会ったことがなかったから 話していて嬉しくなった 俺の弱いところとか、曲がったところも、受け止めてくれたり 俺のことをもっともっと知りたいと言ってくれた 俺だって人にやさしいと言われたことが幾度もあるし、世の中の人間の平均くらいのやさしさ は持っているけど、俺の100倍はやさしい人だった 案の定、セレクトした側は俺なのにもかかわらず、俺は未練がましくなった 未練を持つことはその人にも、もうひとりにも、大変失礼なことだと思っている 女々しいし、勝手だし、無責任だともいえる 理性はそうやって、その人を過去に追いやろうとするけど、感情は追いすがってくる それは紛れもなく俺が真剣だったからだ それだけ自分には大事な存在だったということだと思う 人生が難しいところは、今回みたいに、とても決められないものを決めなくてはいけない局面だ 俺も、誰も、神様も正しい答えを知らない 両方とも正解かもしれないし、どちらを選んでも後悔することもある ...